仕事で外回りをしている途中、車の中からある光景を目にした。
それは、一人のおじいさんが自分の家の前で、息子と思われる男性が車で出発するのを見送る姿だった。
全く知らない人たちの様子をボンヤリ見ていたのですが、車を見送るおじいさんの顔を見た瞬間、そのおじいさんを、なぜか自分自身と重ねてしまった。
もちろん、私はまだまだ「おじいさん」の年齢ではない。こどもたちも小さいし、両親も元気である。
でも、そのおじいさんを、将来の自分自身であると認識した。
頭は禿げて、残った髪も白髪しかない。身体は細く、でも立ち姿はピンとしている。だけど、息子(らしき人)を見送るその目は、とても寂しそうでした。
じっくりと考えたわけではなく、そのおじいさんの目を見た瞬間に、そこ目は私自身の目なんだと直感した。実際におじいさんが寂しい、悲しいと思っていたかどうかなんて分からない。分からないけど、その時に感じた私自身の寂しさは確かなものだった。明かな実感として存在した。
まだ小さな私のこどもたちも、いつか大人になり、自分自身の道を歩み出す。歳を取る私は、身も心も弱くなり、また赤子のように、身の回りの世話を受けなくては生きていけなくなる。たまに来るこどもたちの去り際を、遠い目をして見送ることになる。
今の私は、まだ元気な両親と、これから大人になる生命力溢れたこどもたちの間に存在しています。ヤジロベエの支点みたいな位置取りで。
そして、これから徐々に歳追う方向へ傾いていくのでしょう。
この記事に書いたことを経験したせいなのか、今朝たまたま聴いた曲で、オッサンのくせに涙が出てしまいました。
オッサンだから、涙が出たのかも。
歳を取ると、やっぱり涙もろくなるんですかね。。。
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