昨日は自分の布団で眠れました。自分の巣が1番ですわ。いきなり知らない人がドアを開けることもない。家族を持ってからは、一人で寝ることがほどんど無いので、一人で寝るのが落ち着かなくなっていることに気が付いた。狭くても、こどもらの間にハマって寝るのが、今は良いと思える。
昨日は帰りの電車を待つ時間があったので、駅の待合室で他の人のブログを読んでいました。定期的にチェックしているブログで、「生産性」の記事があったので、誰もいない待合室で生産性について一人で考えてみる。
生産性とは、ある要素から何か(有益なモノ)を作り上げること、またその能力のことだと考えます。労働の現場では、どちらかというと「効率」という意味と同義に使われることが多いと思う。仕事かできる人とは、生産性が高く、効率良く成果をあげる人。
効率が悪いのは悪である。この給料ドロボーめ!と言うことなりますね。。
生産性や効率には、経済活動、お金が絡んでいるので、お金にならないことは生産性がない=価値無しと判断してしまう。でも、お金と価値は直結しない。市場価値が高いものが、全ての人に満足を与えるものではない。
だから、生産性とか効率とは別の次元で意味や価値を考える必要がある。
私の趣味である手芸は、作品の構想からデザイン、設計、作業計画の策定、製作までの工程を、独りで行う遊びですが、やっぱり楽しいのは、ミシンを踏んだり、針を刺したりする作業の部分だったりします。工場では、機械がやってくれるような地味で地道な効率の悪い作業の部分。効率の悪いことを好んでやっている。生産性の悪さを楽しむ世界。
しかし、私が思う、生産性という言葉から最も遠いところにある活動は、こどもを持ち、育てることではないかと考えます。何十年もかけて、どんな大人になるか分からない人間を育てていく。「生産性」という字面からはなんとも矛盾する現実。
でも、こどもを持ち、育てるという行為には、意味や価値があるから、人は家族を作るのだと思います。短期的で、薄っぺらな生産性を求めるのではなく、超長期的な価値を、「再生産」という観点から求めることが、結果的に人の生き方に意味や価値、幸福を与えてくれるのではないだろうか。。。
家族という枠に囚われることもない。自分が社会の中で、未来につながる一つの要素になること。生まれ落ちて死んでいくだけの存在では無いことを自覚し、それを認められること。再生産がなければ、破滅に向かうだけ。そこに意味や価値を見出だすことは困難だと思う。
風で扉がガタガタと揺れる駅の待合室。
Perfumeのアルバムを聴きながらそんなことを考えました。